省略化の知恵/田中照三
舞台芸術における「省略の美」と、それを支える実践的な知恵を学べます。予算や物資の不足を逆手に取り、観客の想像力を喚起する空間づくりの極意が、オペラや歌舞伎の具体例と共に語られます。定式(ユニット)の活用やリサイクルなど、先人たちが築いた省資源・省力化の工夫は、現代の環境意識にも通じる深い洞察を含んでいます。演劇の裏側にある美意識と技術の歴史に触れられます。
単純なものの美について
序曲の幕が上がるとオケはステージ正面。はて、芝居はどこで?
と思った瞬間、ぱさりと上から紗(しゃ)のドロップー枚が落ち、オケがかくれると同時、客席の入口からてんでにわめいたり、発声練習したりしながら、歌手団、道具抱えて舞台に突進。序曲の間にセット完了。
(中略)
舞台での大胆な省略が、どんなに観客の想像力をかきたてるものであるかをボクロフスキー(注1)は知り抜いている。お金のかかった万全の舞台よりも、こうした省略舞台(資金難のためだが)のほうが、新鮮で自由な想像のエネルギーを呼び込むものだ。
モスクワ・シアター・オペラ「セビリアの理髪師」東京芸術劇場ホール・九四年十一月九日上演評 畑中良輔・音楽評論家)
五〇年前、戦後焼跡時代のしばらくは、物はなく、金はなく、場所もない時代がつづき私たちは文化復興の気運にこたえ、知恵を出しあって、そんな悪条件に打ちかってきました。
①予算の不足 ②多場面の処理と転換 ③道具・器材の連搬のための容積と積みおろしの時間の短縮化
そのために私たちが考えぬいた結論はまずとりあえず〈舞台装置の簡略化〉でした。スタッフは知恵をしぼり、エ夫をこらし、アイディアをだしあって、大に実験し、未知の空間づくりに挑みました。思えば五〇年前のそんな舞台づくりが今も生きていて、豊かになった今、舞台芸術、特にオペラはぜい沢でなければといった風潮にモスクワ・シアター・オペラは一石を投じたことになりました。簡潔(単純)化がただ単に前記三条件にたちむかうための不本意な空間としてではなく、不完全な中にも想像を喚起して生れる美の未知の空間があることを教えてくれました。日本の芸術では〈能〉の単純そのものに見える劇空間、造形芸術や建築にも日本独自の洗練された単純な美しさがあり、日本独自の美意識がうかがわれます。
簡略化とは無駄の排除とも言えます。とは言え何が無駄かというとひとつの問題があります。必要な無駄もあるのですから。このことは別に考えることとして、とにかく、とりあえず劇空間にとって不要な物はできるだけ省いてゆく、無くてすむものなら、消えてもらう………と言う風にして片っ端から消去していくと、ベンチーつ、電柱一本、たった一本の立木だけということになりかねません。
別役実の戯曲や、ベケットの“ゴドーを待ちながら”(浪速二一三号参照)は作者がそうした消去法によって場所設定をしたのでしょうか、それはそうではないでしょう。この場合は不要品をさがすのではなく、必要品を最小ギリギリにしぼって示そうとしたものではないでしょうか。何が無駄かの限界と、これだけは是非必要との限界を見きわめることは、実はきわめて難しい。しかしあえてその難しさに立ちむかうことが単純化にとっては避けられないステップです。
資材を多く使うことは、工作も手がこんで人件費も高くなり、又、かつては公演場所も現在のようなホールはなく、講堂か公会堂で舞台にふところ(注2)もなく折角作っても置く場所もない。単純化はこんな制約からも余儀なくされている。私たちの先輩の舞台人や裏方が長い経験の中で諸条件にいかに打ち克って来たか、今も技法として伝えられ、伝統的な様式として守りつづけられているものさえあります。以下そのいくつか代表的なものを紹介します。
ユニット(定式)活用
日本の住居は障子・戸・畳の縦横の寸法は一定で、その組み合わせで三畳・四畳半・六畳・八畳・十畳と様ざまな広さに応じられ、開口部も巾約三尺から一間(六尺=一・八一八メートル)・一間半・二間にと変えられます。歌舞伎や日本の住居の舞台装置では〈定式〉というそれらのユニットを使って骨組みを組み立てています。これは省資源にもなる、ひとつの知恵なのです。ベニヤ板の規格寸法がメートル法では端数なのが不思議にも今も三尺(約九〇センチ)×六尺(約一八〇センチ)なので便利です。
例えばこのベニヤ板ユニット四枚を組みあわせ、舞台に配置し、そのレイアウトによって、ちがった空間を生み出し、この表面の色あいを変えて何度も使用できます。(図1)
(図1)
更にベニヤ板一枚を無駄なく使って三面体の角柱を二カ用意して組みあわせると、より立体的になります。(図2)
(図2)
以上では抽象的すぎるというむきには、少し手を入れて、洋間向きの室内空間に用立てることもできます。(図3)
(図3)
この手法の集大成の決定版がまさに歌舞伎の定式です。
そしてこの定式は現代劇でも日本の家屋が舞台の場合にも使われ、昔はどんな地方に行っても、こんな定式の基本的なものは劇場(小屋)ごとに常備されていて、巡業の劇団は上演曲目に応じて、それを組み合わせ舞台を組んだものです。(図4)
(図4)
最近自治体が競って建設している劇場(ホール)でも、二重舞台のため床(平台)・箱足・幕類(注3)のほか屏風・地絲(注4)等は備品として借りられるようになっていますが、昔は各種そろえることが、小屋の自慢でしたが道具幕(遠見幕)を持っているホールはなくなりました。
定式道具の主なものは次のとおりです。(注5)
場面転換の知恵
ある場面を別の他の場面に変えるために、幕(殺帳)をおろして飾り変えたり、廻り舞台やスライデング・ステージや大迫りを使ったりすることもできますが、いろんな方法で幕をおろしたり、照明を暗くしないで(明転)場面を変え、観客の目先の興味をそそる方法があります。道具立のケレンとして本質から外れるものとして批判的なむきもありますが、歌舞伎では演目によって、この道具のケレンが演出上の役割をになっているものがあります。例えば、「青砥稿花紅彩画」極楽地山門の場(注6)などがそうで、こんな大がかりの転換とは別に部分を引きぬいたり、部分に別のものを押し出したり、かぶせたりする工夫は古くから行われてきました。
以上は場面を別につくらないで、部分の変化させて、全体を別の場面に見せる点では、〈省資源〉にもなっているし、〈場面転換〉の〈時間短縮〉にもなっいているといえます。
(複製図 日本舞台美術家協会)
無駄と手間を省いて、たくわえ
舞台装置の大道具には大・小・さまざまな形状のはりもの(注8)が使われる。これをその都度、デザインに忠実に作ってゆくと、一回の公演でも総量は膨大なものになり、作る手間も計り知れない。そこで、この場合にも基準・基本になる数種類のはりものを作っておいてそれに形に応じた特別の部分を付加する方法をとる。使用がおわれば付加<図/p 14>した部分を取り除き、基本の部分はたくわえておき。例えば二尺(約六〇センチ)×三尺(約九○センチ)のもとの、はりものが岩にも草むらにもなります。
劇場の舞台の見取り図は装置図とか、道具帳とか言いますが、劇場によって、その高さ(たっぱ)は一定です。小劇場では九尺(二・七二メートル)、中劇場で十二尺(三・六〇メートル)、大劇場で十五尺(四・五五メートル)、十八尺高。高い階段を使うレビュー劇場や外来オペラでは二十一尺(六・四〇メートル)二十四尺(七・三〇メートル)
三〇尺高といった例外もあります。小・中・大の場合の用例は図のとおりです。
こうした省資源・省力化に通じる方法を、江戸時代後期・明治大正時代にかけてとられていて、当時数多くの歌舞伎芝居・新派新興大衆劇の全国公演を興業として経済的に成り立たせ、演劇文化を支えてきました。
先に背景幕にふれましたが、こうした既製品で新作の劇の舞台装置に流用することは安直で類型化になりがちです。その為にホリゾント幕の前にベニャ製の切出(注8)を立てまわして個別の背景をつくりますが、このベニヤという森林資源の濫用についても考える時ではないでしょうか。
そのために背景幕の布なら顔料を昔のように膠をメデュームにした泥絵具を使って洗い落とせるようにして何度も使いまわせば、ベニヤ板の無駄使いが防げます。
予算が潤沢な商業劇場でも見かけでは信じられない程、無駄と手間を省いて、二度三度使えそうなものは必ず在庫して再利用に備えます。不要になったはりものなどもばらして寸角・寸五角(注10)を釘をぬいて寸法ごとに仕分けしてリサイクルしています。衣装・冠り物・履き物・持ち物・小道具など、きまりもの(注11)は勿論、芸術表現上ぎりぎりのところで、いわゆる<ありもの>(在庫品)という<たくわえ>で間に合わすのが普通になっています。
舞台衣装・小道具関係には民間業者で製作と貸し物専門の会社が数社あります。かつらもすべて貸し物で、大道具については目下の所、レンタル業務は行きわたっていません。日本舞踊などになくてはならない所作台(注12)は高価なものですが、新しい自治体ホールでは必ず備品にしています。その他、舞台床全面に雪の場面で舞台に敷く白い布(雪布)湖や海面の場の青い布(水布)、草原のための緑布(グラスマット)、黒闇の黒い布など、地絣(注13)と言われていますが、そうした使用頻度の少ないのに高価なものを備えるのは無駄に思えてなりません。公共ホールの全国組織等で、こうしたことを話あって取りくむ時期に来ていると思えてなりません。
(複製図 日本舞台美術家協会)
注1)ポクロクスキーモスクワ・シアター・オペラの演出家が、今年八十二才、一昨年(一九九三年)にも来日。
(注2)ふところ劇場舞台の両側、客席から見えないスペース。大道具・小道具の置場、登場を待つ出演者の待機場所でもある。横に伸びた客席からの死角を保つために袖幕や袖(そで)と称するはりものを立てる。
(注3)床(平台)と称する床状のもの(3尺×6尺)・(3尺×9尺)・(6尺×6尺)4尺×9尺)の規格の大きさ全国共通、これを組みあわせ、所定の広さをつくる。
その高さのちがいに応じるよう、台の下におく、足にあたる部分を箱馬とも言い、もっと高い宮殿社寺豪邸用には〈はかま〉〈さし足〉なども備える。(図11)幕類には緞帳(どんちょう)・引割緞帳(わりどん)・狂言幕・おおぐろ(暗転幕)一文字・かすみ幕(べか)・袖幕・ホリゾント幕・浅ぎ幕・紗幕
(注4)舞台床面を覆う一面の布、土・砂・草原・雪原・水面などによって、その場ごとに変えるのを略して、薄鼠色に、土他や、草原を、かすらせて汚して一枚で間にあわせたのが起源。
(注5)日本固有の家屋の内部の芝居が多いので、たまたま日本の家屋の構造自体が規格にそっているので、この規格に準じたユニットが使用され、つくられた舞台、どの狂言でも障子・ふすま・土間、入口など位置が定っていて、定式家屋を使う。
(注6)河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画」通称「白波五人男」や「弁天小僧」として有名。三幕・浜松屋店先、四幕・稲瀬川の上演が多いが、五幕・極楽寺で屋根があおり、山門の全容がセリ上るスペクタクルも見世場(図13)
(注7)はりもの 安価なべニヤ板のない頃の大道具は大工が骨地をつくって、表具師がふすまや屏風をつくるように紙をはりあわせてつくった。
(注8)きりだし方形の基本骨組みに、書割って、岩や草むらに見えるように継ぎたした部分のこと。
(注10)製材で切り出した一尺角の材木から一寸角(約三・三センチ)に小割にしたもの、住宅の垂木にも使うので〈タルキ〉とも言う。一尺五分角は〈寸五角〉と言うが、これも〈タルキ〉
(注11)歌舞伎・新派など、新作ではなく、旧作を旧来の演出で再演する場面が多い、そんな時、例えば、忠臣蔵・先代萩・寺子屋、婦系図日本橋、など劇団の定番の演目・特に日本舞踊で藤娘・汐汲・道成寺・禿などほとんどは、小道具・大道具・衣装・かつらなど旧来どおりの場合が多く、在庫かリサイクルがやさしく、きまっているもできまりもの
(注12) 所作台、平台(床)に似ていて規格はおなじだが、日本舞踊、歌舞伎舞踊の時、舞台一面に敷きならべる、〈所作舞台〉〈置舞台〉とも言い、高級桧板をみがきこんだ平台で、土足・裸足厳禁。
<(図11)/p 17>
浪速短期大学 学報 浪速No214
発行日 平成7年4月1日
プロフィール
田中照三