視覚と視線 ーまなざしの空間ー/田中照三
本稿は、劇場空間における「視線」と「階段」の演出論です。古代の野外劇場から歌舞伎、宝塚歌劇の大階段まで幅広い事例を引き合いに、観客と演者の「見あげる・見おろす」視線の力学や、階段という装置がいかに物理的な「見やすさ」を超えて登場人物の心理や権威を象徴するかを解き明かします。建築構造と身体表現が織りなす空間のドラマを深く理解したい方にお勧めです。
見あげる、見おろす
「仰げば尊しわが師の恩」古き時代の卒業式にはどこでも必ず歌われた歌です。講堂の正面の高い所には天皇皇后の御真影、舞台にあたる教壇の中央には大きい演壇があって校長がそこに立って勅語をよみ、式辞を述べる。一段高い所での式次第つまりは型どおりのセレモニーに生徒はみんな頭を垂れ、うつむきがちに、ひれふしたものです。
階段教室で、あのような森厳なセレモニーが成り立つだろうかと考えたこともありましたが、学生がふえた近頃では入学式など市内の大ホールを借りて行う大学が多くなっていて、学生は一階の〈見あげる〉席にいて父兄来賓は一階後部、二階三階から〈見おろす〉関係位置で行なわれる。これは現在のホールでの一般的な催しものと同列です。
もともと、〈見あげる〉とは“仰ぎ見て”あがめたてまつることで、又〈見おろす〉とは下じものものを“見おろして”しろしめすことで、君臣主従の関係とか、天に位する神仏と信者との関係の中に生まれるものです。しかし、そうした関係は“演劇は祭式”であり、“祭は政事(まっりごと)”だったと言い、“劇場国家”は本来、政治という“まつりごと”が中心だったという説や解釈とは関連がありそうですが、物理的・空間的にはあまり関連がありそうには思われません。それは古来からの劇場の構造が物語っています。
古代ギリシャ・ローマ時代の劇場の遺跡を今も目にすることができますが(図1)、野外で客席は半円の階段式のスタンド、看客は、下の平地か一方の舞台(テアトロン・オルケストラ)で演ぜられ劇や舞踊や演奏を見おろして享受するようになっていて、闘牛場や競技場、球場とおなじです。
(図 1)ギリシャ・ローマ時代の半円型劇場 (複製図 日本舞台美術家協会)
屋根ができて全大候型になっても、そして一正面の額縁舞台になっても一階前方席は舞台を見あげますが、一階席後部から二・三階席からは、看客は君主のように〈見おろす〉のです。これだと「お客様は神様です」という人気歌手の殺し文句も、ホールのロイヤル・ボックスが舞台を見おろす位置にあることと思いあわせて多少の実感がなくもありません。
かと思うとその逆もあります。中世ヨーロッパの街頭劇(図2)演技者は高い所から看容を見おろし、看客は舞台を見あげます。今ならトレーラーの移動劇場にあたります。馬車が舞台そのものをいて街から街を巡業し、ヨーロッパの都市に必ず見受けられる広場で野外仮設劇場をつくって市民を呼びよせ芸を披露し、劇を演じて見せたりします。集った看客は立ったままですから、後列の人達からもよく見えるように舞台床を高くします。舞台床はかなり高く、肩越しに見られるように舞台床が立った人の目の高さより、高い目になっています。
(図 2)中世ヨーロッパの移動劇場 (複製図 日本舞台美術家協会)
中国のシルクロードの奥地では騎馬民族用に馬上から見るのに適合した高さで、甘粛省の嘉峪関の城外で見ましたが、舞台の高さは背丈よりずっと高く、二メートル五〇はあろうかと思われました。(図3)
(図3)甘粛省嘉峪関 1973年
日本の能狂言は室町の最盛期、民衆は平地に座って〈見あげ〉る席もありましたが、芝がうわっていたので「芝居」の語源だといわれ、後の歌舞伎の平土間にあたりますが、そのほか棧敷があって、公方様や、神官僧侶、高級武家の貴賓席があり、〈見おろし〉ていたと考えられます。
歌舞伎が起り、京都四条河原で人気をさらった頃は、絵巻物や屏風絵の克明な描写から当時がうかがえますが、ほとんどが平土間に座り後方が立見で江戸時代になって二層の棧敷が両側に設けられ〈見あげ〉〈見おろす〉が混在しています。(図4)
(図4)江戸中期(寛延 2 年) 江戸堺町・中村座の場内 (複製図 日本舞台美術家協会)
このように〈見あげる〉〈見おろす〉は決して、宗教的にも政治的にも意味ずけることには無理があって、つまりは“よく見え”“よく見せる”ために〈見あげたり〉、〈見おろし〉たりする。要は、演技(送り手)に対する看客(受け手)の視線の問題で、前列の看客に
さえぎられない「受け手」と「送り手」との物理的なよりよき関係をいかにするかにかかっています。
看客の視線についてホールを設計される上で"よく見える" ための最低限必要条件の客席床の傾斜がとれないため、椅子席の前後を左右にづらせて、後列から前列の人の頭越しではなく頭と頭の間の肩越しに座れるよう椅子を配置しているところがあり、ささやかな心くばりが、そのために通路がすっきりせずに狭くなるからと言ってしないより、した方が看客にとって、どれほど有難いか。(図5)
(図5)近鉄小劇場(420席)客席の配置
よく見せる、よく見える
俳優が看客に送る眼ざし(視線)のことを〈目線〉と言って、俳優の演技のひとつに表情があって、表情の中でも文字どおり目玉とされているのが、この〈目線〉です。従って、立稽古にはいって演出の上で狭い稽古場でこの目線がよく問題になります。
ながし目で中年女性を魅了するので人気のある俳優の目線の演技を追って見ると、客席前列の上手から下手へと更に一階席後方から二階・三階へと隅から隅まで万遍なく目線でサービスする。それがたまらないようです。
これは舞台からの送り手の目線で、これに対し、客席から舞台へむかっての受け手の視線は視角の問題で、患客は指定の席につくと固定されて自由ではありません。
基本的には建築の設計上の問題であり、ひいてはそこに構築される舞台装置の問題でもあります。
(図6) ルネッサンス期 劇場断面図 (複製図 日本舞台美術家協会)
劇場の舞台と客席の断面図(図6)を見ると椅子席の最前列の人の座高からの視線は舞台の床面の高さか、やや高目が望ましい。何故なら床面より低いと舞台上に座ったり寝たりした時の演技が見にくいからです。カルメンが終幕でドン・ホセに刺されて倒れたり、忠臣蔵で浅野内匠守切腹の場面、日本人の生活習慣は、今でこそ椅子式が多くなっていますが昔からの座る老居が多く、洋舞、モダン・ダンスでは床に伏せたり、寝転がったりの振もあります。そんな演技が舞台前方ならまだしも、舞台奥でだと、舞台を仰ぐ看客の視角では、ほとんど見えないことが起りかねません。
日本の家屋内の芝居の舞台装置を普通いわゆる「二重舞台」(注1)にするのは、座っての演技を〈よく見せる〉ためでもあったにちがいありません。西欧では古くから舞台の床そのものがゆるい傾斜を持たしています。そのため、舞台奥の演技も、どの席からも〈よく見える〉ようになっています。(図6参照)五度程のゆるいスロープだとクラシック・バレエのトウダンスにもほとんど支障がありませんし、室内の舞台装置で、椅子、卓子や、その上に食器など置いた時、不安定ではという心配はもっともですが、筆者の経験では気にならないばかりか、客席から見て、ほとんど気がつきません。後部座席の看客には親切なはからいです。
日本の劇場の水平な床に傾斜をつけるため平台を一面にならべてスロープの床をつくることがよくあります。関東では「開帳場」上方では「ヤオヤ」と幕内では言っています。開帳場というのは、社寺の大祭の日、善男善女が参拝につめかけるので、急傾斜の段では危険ですから上に板をひいて、ゆるいスロープをつくり、なおすべらないよう、むしろをひいてき桟で止める。そこから来た言葉で、「ヤオヤ」の方は文字どおり八百屋の店先、ならべた商品が奥までよく見えるように陳列台をゆるい傾斜にしていることからの幕内言葉で、〈よく見せ〉んがためのアイディアのひとつにちがいありません。
見せやすく、見えやすく
舞台床の傾斜スロープを更に急にして〈見せやすく〉〈見えやすく〉したのが舞台の階段です。卒業式や修学旅行や同窓会で記念写真を撮った時のことを思い出してください。前列は椅子に腰をかけ、二列目からは背の低い人から立ち三列四列と段差をつけます。その為に観光地などではその名所の代表的風景が背景になるよう階段が常設されています。全員の顔がもれなくフレームの中におさまるためのはからいです。
宝塚歌劇で名物のフィナーレの階段もしかりで全員が舞台に総出演するために、高い階段の上にあらわれて横列になって音楽にあわせて降りて来ます。上級生になるほど横列の人数が少なくなり、最後は一番の役どころで人気のあるスターが降りて来て、舞台前列中央から左右にわかれて銀橋(注2)中央で一度きまり再び舞台中央に来て、もりあがったクライマックスで幕がおります。
この階段も〈見せやすく〉〈見えやすく〉するためのあの手この手の演出のための究極の大道具と言えます。看客はどこにいても百人近い総出演者の中から、たったひとりのお目当ての乙女を発見することも不可能ではありません。お互い目線の交りを求めて熱叫的な拍手をおくるのです。
なお、宝塚大劇場のフィナーレの階段は約三・五トン二六段で蹴込みに電飾をほどこし、セットするのに三分とかからないよう本体も脚部も一体で舞台奥の方のバトンに吊りこまれていて、フィナーレ近くになって、おろして脚部を開いて所定の位置に転がして固定すればいい仕掛けで三・五トンという重量物をわずかな人員で扱えるように省力化のためでもあります。
無論転換時間も短縮され、今やこの装置は定番となり、どんな演目の時でもフィナーレはこれと決ってしまいました。もともとはこの様にどの公演にも画一的ではなく、演目によりフィナーレの階段は毎回ちがっていて、前公演で使用済みは避けて、新奇のデザインを案出していました。正面向きと限らず斜め階段、湾曲した階段、ジクザク、馬蹄型(図7・8)さまざまで装置家も演出家も新趣向に苦労していました。そんな点でも現在このように一定にした英断にはひとつの時代が考えられるし、それがかえって名物にさえなろうとは予想もしてなかったにちがいありません。
(図8)
(図7)
階段の演出
階段は単に〈よく見せる〉〈よく見える〉ためばかりでなく、舞台のかみ手・しも手や奥と前との位置や水平的な動きを、高低による立体的な動きで変化をつけるためでもあり、当然そこには、劇の人物の上下関係が〈見おろす〉〈見あげる〉ことによって象徴され、高所には帝王首長が位置し、下方には従属者・臣下人民がいて、見おろす、見あげるのが普通であって、その逆は考えられず、もしあれば下克上か革命でしょう。
映画史上最高傑作の名画として今も時々回顧上映されるエイゼンシュタイン監督の“戦艦プチョフキン号”で、その階段の場面が忘れられません。一九一七年、ロシア革命の魁となった水兵の暴動が画面いっぱいの港の階段の上から繰りひろげられます。階段の下には、群菜が熱叫して迎えています。その時、突然発砲が起り、鎮圧軍が横あいからあらわれ、群界にむかって所かまわず銃弾を浴びせます。階段を雪崩のように群衆は転り下り、やがて高い広い階段が死傷者で埋ります。カメラはふと群界の雪崩れの中に赤ん坊をのせた乳母車とそれをおす老女をとらえます。逃げおくれ、取り残されて老女は銃弾を受けて倒れる。無心の赤ん坊をのせた乳母車だけが階段を転りおちる。ここでは階段が演出上、大きい役割を果していました。(注3)
演技者の舞台への出入りのことを登退場と言いますが〈登場〉は〈登壇〉なみに“昇る”ことを意味します。にもかかわらず宝塚歌劇のフィナーレでは、高い台の上にあらわれて、そこから看客を見おろしながら降りて来ます。大スターはいち番あとからあらわれ、おごそかに降臨して、客席に微笑みをまきちらします。「スターは神様」だからかも知れません。
(注3)(図9)はチェコの舞台装置家ジョセフ・スポボーダの「オイディプス・レックス」(ソポクレス)の装置でエイゼンシュインの「戦艦プチョフキン」の影響が感じられます。
(図9)“オイディプズ“スボボダ装置
階段の演技
あの宝塚レビューのフィナーレの大階段を足許も見ずにシズシズと降りてくる。馴れた演技とは言え並大抵ではありません。ターミナルの階上ホームを降りる時、タカラジェンヌになった気持で足許をも見ずに降りて見たら判ると思いますが、やはりひとつには“慣れ”と言うものでしょうか。
あの階段の角度、正確には踏面(ふみつら)と蹴上げ(けあげ)の寸法が、ずっと概ね一定であるからでしょう。住居の階段では無理した急な階段であっても、住みなれると真暗やみでも、目をつむってあがりおりができるようなものです。
階段の傾斜角度は踏面(R)と蹴上(T)の寸法の比率によって決まり、経験的に次の数式が標準とされています。
2R+T ≤ 60 (cm)
宝塚レビューの大階段の場合、頂上の高さは四・三メートルで二六段で達せられるので、Tは一六・五四センチ、階段の奥行は六・九メートルとなっていて二五あるからRは二七・六センチとなり、これを標準数式にあてはめると、
55.2 + 16.54=71.74 (cm)
となり、標準を上まわっていることを示しています。これはこの大階段は標準的な階段にくらべて、蹴上の寸法は小さいが、踏面が大きいからで、これも長い宝塚レビューの経験から、フィナーレの衣裳で、ロングスカートや時にはスカートを長くひいたり、ハイヒールの場合、それに、上段から客席を見おろした時の恐怖感を少なくするためとかが広い踏面と、低い蹴上の寸法を決めたにちがいありません。
レビューの階段は昔から踏面は九寸、蹴上は五寸と言われていました。颯爽と優美に足許を気にせずに昇降するために、定着したのがこの数字でホテルなどの優雅な階段ではこんな比率も使われていますが、デパートでも地下街でも学校でも踏面はもっと狭く、蹴上げはもっと高く従って傾斜が急で、それぞれの条件あってのことですが、非常階段や、ネオン街のバーやスナックの階段がいい例です。そこを和服やタイトスカートの夜の蝶達が昇降するのも現代風俗の階段のある風景のひとこまとも言えましょう。
歌舞伎などによく出てくる二重舞台では、尺高・常足(四二・四cm)・中足(六三・六cm)・高足 (八四・八cm)など定式の高さがありますが、その床にあわせて、一段・二段・三段の階段が常備されています。尺高でも裾をひいた女役では昇降の形に優美さを保つために一段が必要で、中足や高足など御殿や宮殿などで見得を切る歌舞伎特有の演出には段はなくてはならない大道具です。(図10)
(図10) 歌舞伎“一條大藏卿”御殿の場
たとえ二・三段の階段でも、その昇降の演技はその役の人物の心理・性格・境遇を暗示するのに役立ちます。
レーガンがアメリカ大統領だった頃、テレビを見ていて、よく気がついたことですが、彼はハリウッドの映画俳優出身だけにさすがよく、心得ていて、登壇・降壇の動作はさすがでした。踏み出す時か、おわる時かに必ず、リズムを変えて、小刻みに昇降します。活力ある若々しさを示して、七〇才を過ぎた老令を感じさせまいとの演技だったにちがいないと私には見えました。
舞台の階段の演出や演技が、劇の様ざまなシチュエーションで演技者の心理表出を助け同時に看客はそれを視覚から感じとるといった例をあげますと、例えばシェイクスピアの「マクベス」第二幕第一場・第二場、場面はマクベスの城の中庭。
左右に二つの戸口。左側は城外。右側は奥の部屋に通じ、二つの戸の間、高二重の下に垂幕のさがった凹所があり、その突きあたりが第三の戸口、そこを開けると、上の部屋にのぼる階段が見える。―
奥の部屋にスコットランド王ダンカンが眠っている。夫の出世を望むあまり、夫をそそのかして王の暗殺にむかわせる。
1. 中央階段を奥の部屋に昇るマクベス
2. 段を昇る夫を見送るマクベス夫人。
3. 血のついた短剣を片手に段をおりるマクベス。
4. 短剣を犯行現場へ返すよう、もう一度段の奥へとーマクベス夫人。
5. 現場を、もう一度見ることはできないと、ひるむ夫から短剣をひったくって、段を昇ってゆくマクベス夫人。
6. マクベス夫人もどってくる。
マクベス………大海の水を傾けても、この血をきれいに洗い流せはしまい?ええ、だめだ、のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染まろう。
夫人………私の手もおなじ色に、でも、心臓の色は青ざめてはいない。……
(新潮世界文学1、福田恒存訳)
二〇世紀になって、シェイクスピア劇の新演出が興り、舞台装置も多様で(図11)は階段は強調されて斜めに長く流れている。
(図11)マクベス
ドストエフスキーの“罪と罰”、原作は「選ばれた強者は凡人のためにつくられた法を踏み越える権利がある」と大学生のラスコーリニコフは確言して、一金貸しの老婆とその妹を撲殺する。がその直後からたちまち彼の念はゆらぎはじめ、不安と苦悩に満ちた悪夢のような日々が始まる」、小説の第一部(6)(注4)の場面は脚色された台本の第一幕第一場もここから始まる。舞台装置では上手よりに長い階段が折れまがって最上層の老婆の部屋の扉の前の踊り場に通じている。主人公の決意と断行と不安と苦悩がこの階段の昇り降りの足どりによって表象されます。(図12)
(図12)罪と罰 1954年 大阪制作座上演
上演空間での演技者と着客の視線と視角、それを決定ずける舞台と客席の傾斜と階段には、お互いの眼ざしの交錯を生みだし、演技を助け、演出に貢献するところが少なくないものと思われます。
(注1)二重舞台、舞台の床より更に床を重ねて日本家屋の舞台装置に使う。平台を箱馬にのせ、箱の三つの高さと組みあわせ、庶民・武家・宮殿などに使いわける。
(注2)欧米レビュー劇場でシルバー・ブリッジと言ってオーケストラ・ボックスの前縁かこいを橋のように歩いて廻われるようにしたもの。宝塚レビューなどでは、スターが客席に近接してフィナーレをもりあげる。
(注4)中央公論社「世界の文学」ドストエフスキー“罪と罰”(池田健太郎駅)
浪速短期大学 学報 浪速No212
発行日 平成6年10月1日
プロフィール
田中照三