vol.3 大島広子(おおしまひろこ) コロナ禍での衣装デザイン

今から約2年少し前の2020年の冬の終わりーー。世界的に猛威をふるうコロナウィルスにより、演劇業界も数々の公演が中止になり延期になりました。 演劇や文化活動がいつどのように再開されるかまだ誰も何も分からないまま時が過ぎて行く中で、初夏に入ると僅かながらに独自に感染対策をした公演が開幕され始めました。

舞台裏探訪 vol.3 は、2021年夏に早稲田の演劇博物館で開催されていた「コロナと演劇」展で展示をされた衣裳のデザインを担当した大島広子さんを訪ねました。この「願いがかなうぐつぐつカクテル」(2020年7月/新国立劇場)の衣裳は、まだ誰もが「何がコロナ対策の正解か?」の答えを手探りで見つけようとしていた時期で「俳優はマスクを使用しなければならない」という逆説的な問題を抱えていました。大島さんがどのようにその難題を上手くデザイン要素として取り入れてより良いものに昇華していったのか? その過程と裏の話を皆さんにお届けしたいと思います。

演劇博物館の前の大島さん

||「マスクがないと公演ができない」となると、どういうデザインや素材・形状であればその問題が解決できるのかなって思いました。

———まずは当時の状況を教えてください。

大島:2020年3月から3ヶ月間、文化庁の在外研修制度でイギリスのリーズという地方都市の劇場に研修に行く予定でした。帰国後すぐ「願いがかなうぐつぐつカクテル」の稽古が始まる予定だったので、演出の小山さん・美術の乗峯さんとも早めに打ち合わせをしていました。2019年末にはほぼデザインが決まっている状況で、あとは素材など決めるなどの具体的な製作段階のことを詰めるだけという感じでした。

3月上旬に渡英したものの、10日後にイギリス全土がロックダウンしてしまい、劇場も閉鎖されたので致し方なく帰国しました。

———海外でロックダウンですか? 大変でしたね。

大島:何となく危険が忍び寄っているという感じはあったんですが、まだ全体的にはそんなに深刻な雰囲気ではなかったんです。それは出発する前の日本でも同じでした。でもロックダウンの3日前から急に世間がザワザワし始めて、そこからはあっという間に全てが軒並み閉鎖、となった印象です。感染者数も万単位で増加という感じでした。

———よく帰国で出来ましたね。

大島:ヨーロッパにいる全てのアジア人が一斉に国に帰るのでは?という噂が流れて、飛行機の席がなくなると思ったのですぐにチケットを取りました。まだ通常値段だったのでラッキーでした。最終的にはかなりの高値になったと聞きましたので。

———それで日本に戻ったら…?

大島:丁度こちらに戻った日から日本でも外国からの帰国者は14日間の自主隔離をする必要になり、その間に第1回目の緊急事態宣言が発表されたと思います。

———段々思い出されて来ました。プロダクションの方に当然影響があったと思いますが、動きはありましたか?

大島:緊急事態宣言が出されたタイミングで、もう7月の公演ができるかどうか分からない状況でしたので、新国立劇場からの連絡を1ヶ月くらい待っていました。5月頭に「出来るならば公演はしたい」という連絡を受けたので、やれるところまで進めようということで、プロジェクトを再開することになりました。5月中にZOOMなどで会議をしたりしました。

———確か連休を自粛して、社会的にも感染が一度落ち着いていた記憶があります。

大島:新国立劇場側も5月の頭の時点である程度の見通しというか希望があったのではないかと思います。あとは「ぐつぐつ」が子供向けの作品だったので、学校にも行けてなかった子供たちのために少しでも何か良い体験を届けたいということもあったと思います。

———なるほど。

大島:1学期がいわゆる「失われた時間」になってしまって。私もちょうど6歳になる姪がいたんですが、学校の授業どころか入学式すらなく1年生になってしまって…

———本当に可哀想ですね。お陰さまで色々と当時の状況を振り返ることができました。

アトリエにて

———では本題に移ります。コロナによる影響下で、どの様な感じでプロジェクトは再開されましたか?

大島:上演するにあたり、役者間のソーシャル・ディスタンスをとるという事と、飛沫をなるべく抑えるという事を新しく美術と衣裳に取り入れてデザインを修正することになりました。 そして衣裳の方ですが、飛沫防止のために役者にマスク着用が必須になりました。

———マスク…なかなかの難題ですね。

大島:マスクをしながらの演劇というのは、当然ながら私も見たことがなかったですし、もちろんやった事もないですし…。 日常生活においてもマスクをつけると表情は認識しづらいですし、声も聞き取りにくくなるので、そう考えると演劇とは相入れないものだということは明らかな訳です。でも「マスクがないと公演ができない」となるとデザインするしかないので、どういう素材・形状であればその問題が解決できるのかなって思いました。

———“とんち”に近い感じですね。最初の一手は?

大島:舞台で使われる様々なタイプのお面をリサーチしたり、洋服の中でネックラインから自然に何か立ち上げることができれば口を覆るのではないか?とか、いろんな方向からアプローチしてみようと調べました。基本的には飛沫さえ遮れれば良いと理解したので、マスクという形には囚われずに口元の遮蔽をして表情は見せつつも、作品の持つ世界観を壊さずに出来る色んなものを当たりながら考えました。

———その過程において演出家とのやりとりは?

大島:もともと制作さんからのそういう要請を演出の小山さんが聞いて、私に伝えてくれた形だったのです。

ただ小山さんもそういうものが何か必要だと思っていましたし、何にもましてお客さんに安心して観劇してもらいたいという気持ちは、プロダクション全員共有していました。 私には衣装に合うマスクなり他のものをデザインして欲しいとお願いされました。

———皆が同じ方向を向いていたということですね。

大島:そうですね。劇場での感染は絶対に避けなければいけない事でしたから。

———大切ですね。「色んなものを考えてみよう」という事でしたが、デザインはどの様になっていきましたか?

大島:この作品ではそれぞれの登場人物にとても強い個性というか属性がありました。それに沿うには統一された何かーー例えば色違いのマスクーーではなく違う形・色んな素材のものでも良いのではないかとの考えにシフトしました。それぞれのキャラクターの顔の一部のような扱いで取り入れられたら、という考えです。

———その考え方のシフトには何か影響とかあったのですか?

大島:ありましたね。話が前後するのですがーーー

登場人物は5人いるのですが、その内2人は動物の役です。

カラスのヤコブですが、一番最初のアイディアとしては、動物だから動物のパーツが付いてる感じにしたくなくて色々と試してみたんですが、やはりその動物の造形が一番違和感なく自然に見えましたので、嘴を利用して鼻から口元まで完全に覆いました。更にこのリサーチの過程でこういう画像に出会いまして… 、これは中世ヨーロッパでコレラが大流行した時の当時の医者が使用していたマスクがまさに鳥の嘴のようなものですが、それが動物の顔造形を利用することに決めた理由の1つでもあります。

結局、その動物の顔を基に“口元を覆う”事をすれば、すんなりとデザインに活かすことできました。

中世ヨーロッパのペスト治療の医療服

———これは面白い資料ですね。もう1匹は?

大島:もう1匹は猫なんですが、これもニャロメ(※故・赤塚不二夫さんの漫画の猫キャラクター)のような誇張された猫の口元の造形の絵を描きつつ、今回マスクの造形を急遽担当していただくことになった土屋工房の土屋さんと相談しつつ装着しやすい形にしていきました。

いくつかの試作を作って稽古場で俳優さんに試してもらいつつ、要望を取り入れつつ変更 を重ねて本仕様に持っていきました。

———とても可愛らしいですね。大人が観ても楽しめるデザインです。

ネコとカラスのポートフォリオ用衣装写真(撮影:行貝 チエ)

マスクのリサーチとスケッチ

公演写真 新国立劇場「願いがかなうぐつぐつカクテル」 撮影:引地信彦

|| 自分でもどう処理するかはわからないけど、とても面白くなるんじゃないかと思いワクワクしました。

———他の登場人物はどうでしょうか?

大島:動物はサブキャラで、メインは魔法使いの博士とその叔母の魔女です。その2人の表情は絶対に見せたいと思い、何か透ける素材を使用したいということは最初から思ってました。

今でこそ皆さん見慣れてますが、当時はまだほとんど見ることもなかった口元だけを覆う透明プラスチック製のフェイスガードを見つけまして。食堂で配膳係の人が着けてるという程度の商品で一般に出回ってはいなっかったですね。

科学者という設定だったので、プラスチックの素材感は科学者の衣装とも合いますし、シンプルなのも良かったです。あとは衣裳に合わせて色や小さい飾りをつけて見え方の微調整 をしました。

———よく見つけられましたね。

大島:そうですね。まだ当時はニュースキャスターやTVのバラエティーでも装着している人がいなかったので見つけた時は嬉しかったです。 ただこれについては公演後ですが…後々テレビの番組か何かで、スパコンにシュミレーションさせると飛沫の防止には効果が不十分ということがわかってきて(苦笑)。

———そうなんですか(笑)!?

でも公演時には感染防止対策の一環として認知されてロケ番組とかでも使用されてましたし、まだ何が正解か皆さん手探りの状態でした。 当時はベストな選択に思えたので、演出の小山さんにも制作さんにもとても喜んでもらえました。

———魔女に関しては?

大島:帽子を被ってたので、そのベールを利用する可能性を探って見ましたが、現実的につけ心地、透明度、顔への馴染み具合を総合的に鑑みると、博士と同じフェイスガードを装着することにしました。 ただ、支えになる部分を衣裳に合わせてゴールドにして使用しました。

———違和感なく自然ですね。見事に調和しています。

公演写真 新国立劇場「願いがかなうぐつぐつカクテル」 撮影:引地信彦

———残りの人物もお願いします。

大島:マーデという“地獄の使者”がいまして…地獄の使者と聞いておどろおどろしいイメージを持たれるかもしれないんですけど、原作には「ごく普通の人」と書かれていて、ただその登場の仕方が知らない間に現れては消える…という描写がされていまして。小山さんは「すごく普通の人。市役所の役人みたいな特徴のない存在感のない人。」を求められていたので、最初はグレースーツで面白みのない感じのデザインでした。

———なるほど。

大島:それが口元を覆わなくてはいけなくなり、特徴づけになってしまうかもしれないなーと悩みました。でもある時にふと、「特徴のない、存在感がない、イコール、…顔のない」というイメージが脳裏に浮かんで、顔を全部覆ってしまえばいいんじゃないかと思いました。

———アイディアのブレーク・スルーですね。

大島:自分でもどう処理するかはわからないけど、とても面白くなるんじゃないかと思いワクワクしました。俳優さんにとっては圧のかかる提案だったと思いましたし、ずーっと覆っているのは演出的にも難しいと言われまして…

———確かに。

大島:私も流石にずっと覆ってるのは無理だろうと思っていたので、B案として「鼻くらいまで覆われて目だけが見えてる」のを提示したんですけど、すごく面白いと言われて、結局B案よりの方で進めることになりました。 スーツの形状を利用して、終始口元は隠れているというデザインです。

でも最初の「顔のない」という見え方も面白がってくれたので、登場するときは顔のない状態でやってきて、博士の前に現れたという瞬間に顔の上半分だけが衣装から飛び出てやりとりをする、という動きになりました。 自分でもあとから見て作品の世界観にも、キャラクターの持つ属性にもぴったり合っていたと思います。

———すごく面白いデザインですね。

衣装写真

衣装スケッチ&リサーチ

公演写真 新国立劇場「願いがかなうぐつぐつカクテル」 撮影:引地信彦

|| 演劇界がストップしてしまっていたので、やはり創作活動はいいなと心の底から実感しました。

———稽古で色々と試行錯誤をして今の形に落ち着いたということですが、他に印象に残る事は?

大島:デザイン自体は大幅に変更はする必要はなくて、装着感とか装着した後の見え方の微調整程度でした。博士と魔女の既製品のフェイスガードに関しては、普通のマスクに比べてセリフが話しやすいし、多少音の反響が違うということはおっしゃってましたが、軽く楽なので稽古場では基本役者はこれをつけてやってました。

猫とカラスに関しては、造形をつけて少し整えたり、演じる俳優さんが造形物に慣れるように練習してくれてました。

“地獄の死者”のマーデは…造形が難しくて、東宝舞台の衣裳部の方に作りをお願いしたんですけど、肩の形状を出すのが衣裳の作り方だと安定性を出すのが難しくて、特殊小道具の土屋工房さんに作り直してもらって、それを稽古で何回も来てもらって動きの調整をして…を繰り返しました。土屋さんには本当に感謝です。

———特殊小道具ですか?

大島:この衣裳は見た目に反して実はすごく難しくて、首だけ動かすと変に見えるんです。体ごと動かさない と、すごくおかしなことになるので、俳優の林田さんと演出の小山さんと一緒に調整して、 不自然に見えないように動きを練習してくださって本当にありがたかったです。

———なるほど、俳優の方も衣裳のデザインが成立するように動きを練習して協力してくれたんですね。良いコラボですね。コロナ対応以外で、難しかったことはありますか?

大島:稽古場がすごく楽しかったので、そう思ったことはありませんでした。それはやはり3ヶ月間くらい演劇界がストップしてしまってたので、稽古場に行ってみんなと会って話すだけで楽しいと感じました。休止中の3ヶ月間も実はとてもダラダラ過ごして楽しかったんですけど…(笑)

——— (笑)。久しぶりにのんびりと休養されたという事ですね。

大島:やはり創作活動はいいなと心の底から実感しました。1年前のことなんで細かいことはあまり覚えてないんですが、稽古場に行って毎回何かしら1つずつ物事を解決しながら作業を進めて行ったんですけど、嫌なこと難しかったことが思い出せないです。何かしらあったとは思うんですけど、多分それぐらい楽しかったんだと思います。

———演劇人の鏡ですねー(笑)。次に楽しめたことを伺いたかったのですが、もう十分ですね。

大島:そういえば、今回初めて衣裳を1から10まで発注出来たことが非常に嬉しかったです。今まで自分で購入したり染めたり作成したりで発注できたことがなかったので。

自分の書いたデザイン画を、想像して立体化してくださった縫い子さんたちとのやり取りがすごく楽しかったです。今回の衣裳は割と自分では実現できそうにない事も結構あったので、そういう事ができる技術と知識を持ったスタッフの人たちと一緒にできたことは自分にとっても良い経験になりました。

———それは良かったですね。デザインの評判はどうでしたか?

大島:私自身は大変満足してますし、演出の小山さんはじめ、スタッフ間では良かったと思います。俳優の方々は大変だったと思います(笑)。

———演劇博物館から話が来たのはどういう経緯ですか?

大島:公演が終わってかなり経ってからですが、今年に入ってから新国立劇場の制作さんから演劇博物館の方からこういう話があるのですが、どうですか?という連絡を受けました。とても光栄なことでですし、ぜひにとお受けしました。最初はデザイン画だけということだったのですが、偶然に自分のホームページ記載用に廃棄予定だった衣裳を保管してたので、だったら「実際の衣装もぜひ展示を!」ということになりました。

———演劇博物館にも展示されたという意味では、とても評価の高いデザインだったのかと思いますが…

大島:何人かの演劇関係者から良いフィードバックを頂きました。ただ子供向けの作品だった事に加えて、多分まだコロナ禍の影響が残ってて保護者の方々が劇場に来るのをまだ躊躇していた時期だったのではないかと思います。皆が安心して楽しめるデザインであったのでしたら私も嬉しいです。

展示室での仕込み

———改めて見るととても工夫されていて、且つスタイル的にも楽しい見栄えだと思います。振り返って見て個人的に何が要因だと思いますか?

大島:結果的にコロナが上手く作用したことになったと思います。怪我の功名ではないですが、挑戦することを諦めずにいたことは自分の自信にもなりましたし、皆が協力してデザインアイディアを活かしてくれた事は非常に大きかったです。

———ありがとうございます。ではここからは大島さん個人の事についてもう少しお聞きしたいと思います。

|||  一緒に創っているみんなが舞台を好きなんだという一体感がたまりません。

満面の笑顔で話をしてくださった大島さん

ーーーまず簡単に生い立ちから伺います。アートや演劇に関して興味のある子供だったのですか?

大島:服には興味はあったんですが、美術のクラスは大嫌いでした。最初からこんな話ですみません(苦笑)。

ーーーいいえ。理由にとても興味があります。

大島:なぜかというと、その頃は絵を”上手く描く”、”工作を上手にする”かしか褒められなかったんです(怒)。授業名が「図画工作!」。今でこそ色んなことを個性なりで評価をされますが、当時は上手く描けないとなぜか怒られて…絵を描くこと自体は大好きだったのですが、どんどん嫌いになって行きました(笑)。

中学に入ると”米米クラブ”にハマって、ライブに行くために服を一丁前にミシンを駆使して四苦八苦して作ってました。楽しく楽しくてしょうがなかったです。一番純粋にひとつのことに夢中になりました。

ーーー米米クラブですか。確かに衣装を作るのが楽しそうですね。

大島:高校卒業後に短大で被服科に行きました。そこでファッションの歴史とか基本的なことを学んで、より一層深く勉強したいと思いました。好きなイギリスのデザイナーへの想いが募り、短大1年生の春休みにロンドンに短期留学をしました。インターネットもない時代で…大阪のブリティッシュ・カウンシルに押し入ったら、たまたま日本語で書かれた学校のパンフレットがあって、それをボロボロになるまで読みました。「アイ・ウォント・トゥー・エンター・ディス・スクール」くらいな拙い英語で向こうに偵察に行きました。その時にはもう東京を飛び越えて頭にはロンドンしかありませんでした。

ーーー度胸がありますね。卒業後はロンドンに?

大島:はい。とても興奮してたことを今でも覚えています。世界3大ファッション学校のある都市。有名な卒業生・アレキサンダー・マックイーン。ロンドンコレクションを見るために会場を前をうろうろしたり、本当にいろんな事に刺激を受けました。

ーーー学校はどうでしたか?

大島:入学する前に6週間の予備学校(プレコース)で絵を描ける様にならなければいけなっかたんですが、先生が自分の下手な絵を上手く褒めてくれて…それにすごく感動して、やる気が出てきました。教え方も上手で褒めて伸ばされると言うことはこういうことかと(笑)。その6週間の間に自分の中でですが進歩が見えてました。あとは絵の上手い下手よりもアイディアの方を重視する感じがあって。自分に合ってました。

それで何とかファッション準備科に入ることができました。ここには生徒が1学年60人くらいいたんですけど、半年後に本科に上がれるのが20人だけだという噂が流れて、その日から生徒間のバチバチがスゴすぎて… デザイン画のスケッチブックを盗まれる生徒がいたり、足の引っ張り合いが酷くて。

「これは私は蹴落とされる側だな」とそれまですごく好きだったファッションデザインですが、自分の性格を鑑みて他の可能性を探しました。 同じ学校に舞台美術科というものがあって、そこで「衣装もできるらしい」と噂を聞き、試しにクラスを取ってそちらに編入しました。もちろん、この時は舞台美術というものが何であるかも知りませんでした。

ーーーそんなことが?人生の分かれ道ですね。そこからどう向き合っていきましたか?

大島:イギリスでは当然なのですが、セノグラフィーということで衣装だけでなく舞台美術も勉強しなければいけませんでした。ですが、やってみたらすごく面白かったです。しかもこちらの学科はクラスメイトもフレンドリーで、自分に合っていると感じました。

しかし授業初日に「教えない。自分で勉強しろ」と言われたり、全てがスムーズに行きはしませんでした。ただ、そのクラスで言われたことは大人になればなるほどその意味がよくわかった気がします。そもそもデザインは基礎以外教えられるものでもありませんし、自分とは違う感覚やセンスを持った他の人に教える…というよりも”気付き”を助けるだとか向上心を育むだとか…という事だと思います。

それからクラス批評の時間があるのですが、自分のデザインを発表する時には言葉で誤魔化す事が出来ない英語レベルだったので、ビジュアルだけで伝わるようにすごく頑張りました。

ーーーなるほど、没入した時期ですね。

大島:舞台美術を学び始めて、何年か経って気がついたのですが、自分は服飾も好きだけど、それ以上にファッションショーの熱気や大勢の人が集まってのイベントの共有体験にワクワクさせられていたのだと。その時に自分は正しいドアを開けたんだと確証を持つことができました。

ーーー素晴らしいですね。自身を知るというのは大切だと感じます。大島さんは衣裳だけでなく美術もされていますね。

大島:帰国後に縁あって大道具会社に勤め始めて、最初の5年間は美術の仕事をいただいてやってました。ある時、美術をやってると「衣裳を探している」と言われて「衣裳デザインも出来ます」と。そこから衣裳デザイナーとしての道もスタートしました。個人的には同じ作品では両方を手掛けたいと思ってます。やることが多過ぎて本当に大変なんですが(笑)。

ーーー想像できません(笑)。普段どのように作品にアプローチしますか?

大島:作品を読んで最初の印象、最初の絵を大事にしているので割と作品や演出家に対して考え方を変えるという事はないですね。少なくとも最初の段階では…ですが。

ーーーなるほど。ご自身の第一印象をまず発信していくと。

大島:そうですね。でもこれまで関わった作品では、最初に思い浮かんだ絵から出来上がったもので、あんまり逸れたことはないですね。

ーーー衣裳も美術も?

大島:はい。ただこちらも100%最初からはっきりと頭の中で絵を描いて見せるわけではないので、「こんな感じ」というものを段々と肉付けしていく、演出家の方もそれと同時に自分の中のイメージを明確化して擦り合せていく。その過程であまり変更というものはなく大体最初の絵の印象は変わらず残っているという感じです。

ーーー好きなデザインスタイルはありますか?

大島:フリーラインが好きで、まっすぐな線が嫌いですね。美術家にあるまじき考えなんですが、図面を引くのがあまり好きじゃなくて(笑)…特にCAD(※コンピューター図面)のラインが。どちらかというと衣裳の方が好きかな…? 衣裳もパターン引いたりする時ははっきりとしたラインになるんですけどね。

あとは具象よりも抽象性の高いものの方が好きです。色使い、テクスチャー、素材とかで感情と繋がるようなもので表現する方を好む傾向にあります。

ーーーアーティストタイプですね。職業病だな〜と思うことはありますか?

大島:観劇する時は舞台の隅から隅まで観ますね。あとレストランとか入った時にインテリアの細部の寸法など参照にするためについついよく見てしまいます。人のファッションに注視するのは職業病以前のクセです(笑)。

ーーー次に好きなものを伺っているのですが、何かありますか?色、音楽、場所など何でも。またそれらに自身がデザインを考える上で受けてる影響など。

大島:子供の頃は色の好みはピンクとかはっきりとあったんですけど、今はそんなにないですね。自分が選ぶ洋服は紺、緑が多いですが、デザインする上では自分の好みに囚われる事はあまりないと思います。

ーーー衣裳家なので好きなファッションデザイナーなどはいますか?

大島:イギリスのデザイナーでビビアン・ウエストウッドですね。服飾デザイン短大に通ってた10代の多感な時期に彼女のデザインを見て「すごい!」と思って。彼女のショップの本店に行きたいからイギリスに留学したようなもんです(笑)。毎日、店の前を通るだけで感激してました。

ーーー他に影響を受けたことなどは?

大島:すごく初期の演劇体験の話になるのですが、大学2年生の時にピナ・バウッシュのダンスを見て一目惚れしまし た。その時は外国に身を置いて言語の壁なども感じる中、「言葉がなくても、身体の動きだけでここまで感情表現ができるんだ」「セリフがないぶん、観ている人によって感じ方やストーリーも自由に出来る」と思いました。そこからダンスに大変興味を持つようになり、またダンスの自由な発想からくる衣裳デザインにも惹かれました。

同じく2年生の時にサイモン・マクバーニーのコンプリシテを観て、言葉は全くわからなかったんですけど、最後に羽が落ちてくる場面でなぜか涙がつーッと出てきて、「演劇って言うのは、言葉が省かれた状態でも感動できるんだ」ということがわかりました。

ーーーなるほど。最初の体験とはいうのは本当に大事ですね。ダンス公演に関わることも?

大島:残念ながらあまりダンスの衣裳をする機会はなくて…もっと積極的に活動しないといけないとは思うんですが…

ーーーきっとチャンスは巡ってくると思います。最近とても楽しかった事・大笑いしたことは?

大島:コロナの自粛期間中に猫を2匹飼い始めました。すごい癒しになってくれてます。

ーーーストレスの対処方法はありますか?

大島:寝ることです。とにかく寝ます。どこででも寝ます。

ーーー睡眠は重要ですね(笑)。仕事を楽しむコツは?

大島:毎日ラッキーだなと思ってます。好きなことをしながら生きていけるので。あとはいろんな人に仕事を通じて出会えることもラッキーだな、素晴らしい仕事だなと。

ーーーとてもポシティブです。お気に入りのアイテムなどありますか?

大島:お気にいりに文房具は 15cm のコンパクト金定規で、クルッと開くと 30cm になります。使う機会も多く重宝してます。

それからお気に入りというか…この昔から持ってるトルソがないと衣装の仕事は出来ないですね。必要不可欠なアイテムです。

必要不可欠なトルソ

ーーーどんな時にデザインアイディアが浮かんだりしますか?

大島:朝のシャワーですね。シャワー浴びながら色々とその日のやることを頭の中で整理する時に、ついでにデザインのこともふわふわ考えているとぱッと何かの糸口が思いついたりしま す。もちろん、ふわふわ考えたことなんで、後で机に座った時にやっぱりダメだったと思うこともあります。

ーーーデザインスキルを上げるためにしていることは?

大島:スキルもない上に特に何もしてないですが(笑)、どの仕事もこれが人生最後の作品と思ってやってます。

ーーー印象に残ってる公演/作品は?

大島:私がデザイナーとしてクレジットされてはいないんですが、インバル・ピントと関わった初めての作品「100 万回生きた猫」ですね。衣裳・美術助手というタイトルで、彼女のサポート役でした。

ーーーイスラエル出身の?

大島:はい、もう飛び抜けて才能がある人。全部自分でできる人なんですよ。振り付け、デザイン、絵も描ける。もちろん、それを具体的に舞台の上に具現化する人たちは必要なんですが、彼女の頭の中には割と明確に作品が出来上がってる印象で、私たち周りのクリエーターが如何に彼女の奇想天外なアイディアの海にダイブしてそれを掬い取れるか、ですね。稽古場で1つ1つ形になってまとまっていくのは嬉しいですが、特に自分の提案した表面のテクスチャーだったり絵だったりが使われた時の嬉しさは格別でした。

ーーー自分の作品では何かありますか?

大島:海外の演出家と創った作品ですね。 一つはスウェーでンの演出家と組んだ劇団うりんこの「ねむるまち」。彼は、私や俳優さん達に、子供たちに対してどういう風に演劇をアプローチしていく事が大切かを教えてくれました。子供達に演劇を教えることを時々しているので、今でも交流がありますし、常に意識させられる存在です。

もう一つはラトビアの演出家で、これまで3作品ラトビアで彼と一緒に作品を作ってます。彼とは偶然スウェーデンの児童演劇のフェスティバルで出会って、美術家を探しているけどやってみない?と軽いノリで始まったんですが、もう10年くらいのおつきあいです。

ーーーへぇ〜、結構されてますね。すごいです。

初めてのラトビア公演での記念撮影。

コロナ前の2019年の公演。友人のダンサーも出演。

ーーー未踏の国ラトビアに行ってどうでしたか?

大島:最初の作品は極寒の2月に2週間の滞在で製作しました。マイナス25度です!バナナで釘が打てる世界。お陰でゲネ終わって高熱が出て本番をベンチに横になって観るという事態になってしまいました(笑)。

ーーーよくご無事で(笑)。デザインはどうでしたか?

大島:最初は”水でお絵描き”の大人版ような水を使う書道の練習で使われるシートが面白いな〜と思い持っていきました。乾くと元に戻るという特性があり、日本にしかないこのモノはきっと観ている子供たちの興味を引くだろうと思いました。でも当然空輸するお金もなく自分で大量にロールを抱えて持って行ったので劇場に着くまで大変でした。でも狙い通りに演出家さんがとても気に入ってくれて、しかもラトビアの演劇大賞の児童演劇部門で作品賞も受賞したんです。それから毎年呼んでいただけるようになりました。

ここ2年はコロナ禍のために残念ながら公演ができてません。早く再開してほしいと願ってます。

ーーーそうですね。海外の方とはよくされているんですか?

大島:シンガポールや韓国やドイツでも作品を作りましたが、それぞれに日本で仕事をしている時とは違う魅力があります。あっと驚く様な道筋を描いて、初日に向かう際のドキドキ感と、一緒に創っているみんなが舞台を好きなんだという一体感がたまりません。

ーーーそのように未知の世界に飛び込む勇気と行動力がすごいと思います。これからもそのバイタリティーあふれる活躍を期待してます。

PROFILE

大島 広子(おおしま ひろこ)

大阪府出身。

英国セントラル・セント・マーティンズ美術学校、シアター デザインコース卒業。

帰国後、大道具会社勤務の後、ドイツの劇場での研修を経て、独立。

ドイツ、スウェーデン、イスラエ ル、シンガポール、ラトビアなど国際協働作品にも多数参加。

「ユビュ王」(まつもと芸術館/小川絵理子演出)の衣裳デザインにおいて、2015年度伊藤熹朔賞奨励賞を受賞。

>>>大島広子さんのホームページはこちら

http://www.hirokooshima.net/

編集後記:

とても素敵なアトリエでお話くださった大島さん。海外に飛び込んでいく度胸には驚かせれました。インタビューをした昨年はとても忙しく活動されていましたが、この勢いでダンスなどの作品でも衣裳・美術と創作の場でのご活躍を期待しています!

大島広子アトリエにて(08.20.2021)

関連リンク

プロフィール

大島 広子

大島 広子

大島 広子

OSHIMA Hiroko

美術/衣装

主な作品:http://www.hirokooshima.net

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