vol.2 柴田隆弘(しばた たかひろ) 伊藤熹朔賞の三冠受賞者

一昨年に一つの区切りを迎えた伊藤熹朔賞は大賞・新人賞・奨励賞・特別賞の4部門からなります。関西を中心に活躍している柴田隆弘さんはこれまでにそのうちの3つの賞を授与されました。2000年に桃園会「どこかの通りを突っ走って」で新人賞を、2008年には維新派「呼吸機械」とMONO「なるべく派手な服を着る」で奨励賞を受賞、8年後の2015年には満を持してシアターBravaの10周年記念の公演「麦踏みクーツェ」で本賞を受賞されました。今回は柴田隆弘さんの多岐に渡る「舞台美術作家」としての活動、受賞作品の裏側の話などをお届けしたいと思います。

アトリエ兼作業場でお話しいただきました柴田さん。屋号は北五美術。

ーーーまず柴田さんのバックグラウンドを簡単にお聞きしたいと思います。生い立ちから–どんな子供でしたか?幼少の頃からアート・演劇方面に興味があったのでしょうか?

柴田:一般的な普通の家で育ったと思います、両親が演劇や音楽に詳しいとかではなかったですね。小学校の頃は週1回絵画教室に通っていて工作は好きでした。

中2くらいまでボーイスカウトに入っていました。すごく体育会系で、重たいテントを担いで毎月キャンプに行ったりして (笑)、 体力的にすごく鍛えられました。ボランティアをしたり、赤い羽根を配ったりしました。

ーーーいつ頃からどんなきっかけで興味を持つ様になりましたか?

柴田:中高はバスケットボール部でした。でも絵は好きで描いていました。高校はデザイン科のあるところに行きたかったのですが、親に反対されて…

で、高校の時に映画が好きで良く観ていて、映画監督になりたいと漠然と思っていました。それで大学受験の時に、大阪芸大に映像学科があることを知って、受けようと思いました。芸大を受験するということで美術の研究所に絵を習いに行くと、そこの先生に「舞台美術も似たようなものだから滑り止めで受けなさい」と指導され受験しました。結果、映像学科は落ちて舞台芸術学科舞台美術コースに合格したのでそっちに入りました。(笑)

ーーー人生の分岐点ですね(笑)。

柴田:舞台美術コースには受かったんですけれど、舞台美術というものがよくわかってなくて、高校の通学途中にある劇団が看板をあげているのを見つけて、あそこに行ったら勉強できるのではと思い、高3の1月に思い切ってそこの門を叩きました。

そこで劇団の美術を担当されていた木谷さんに出会いました。普段は姫路で大道具の仕事をしながら劇団の舞台監督や舞台美術をされていて、たまたま家もご近所だということもあり(笑)。大学生の間は、木谷さんの劇団の工房で大道具製作をしたり、芝居つくりのことを教えてもらいながら公共ホールなどで大道具のアルバイトさせてもらったりしました。

ーーー柴田さんのホームページのプロフィールに書かれてた木谷典義氏ですね。大学に通いながら、姫路でもすでに活動を?

柴田:はい。アルバイトでしたが。大学では先輩の劇団を手伝ったり、劇団の旗揚げに参加したりしました。当時はまだ現場に行っている学生もそんなにいなかったと思います。でも、現場ではよく怒られていました(笑)。

ーーーもう1人の師匠筋の大澤さんとはどうのように関わったのですか?

柴田:大澤先生は大学で大道具の先生としておられて、在学中はもちろん卒業後も先生にお世話になりました。ですが2年くらいでお亡くなりになられて…。

でも先生のところで京都の劇団をご紹介していただき演目に付いたりしました。また、先生の工房をお借りして自分でプランして道具製作をしていました。

そうこうするうちに舞台美術家の池田ともゆきさんが『関西ガチブクロ展』という舞台美術の展覧会を(@扇町ミュージアムスクエア)されるということでお誘いをいただき参加しました。それがきっかけで加藤登美子さんや綿谷登さんと繋がり、同世代の数名と協会に入会させていただきました。

ーーーなるほど。少し世界が広がり始めた…

柴田:そうですね。それから当時は演劇祭なども活発で、目指すところが明確にあった気がしますし、元気のある劇団が多かったです。

ーーー当時の様子は?

柴田:扇町ミュージアムスクエアに南河内万歳一座さんと劇団☆新感線さんがおられて、屋上を作業場や稽古場としてお借りすることができて、いろんな団体の人たちがそこで装置作ったり、小道具の作業をされていたり… そこでまた繋がりが出来て、こんなん作りたいのですがどうやったら作れますか?と教えていただいたり、仕込みのお手伝いに行かせていただいたりして、技術的なことやコミュニケーションの取り方など勉強になりましたね。

ーーー芸術家のコミュニティーという感じですね。

柴田:そうですね。会社には入らず、自由にやっていました。道具の現場とかにも行っていましたが、20代の終わり頃には自分の美術の仕事だけでなんとか生きていました。

ーーー素晴らしいですね。その頃に出会った方々で受けた影響・与えた影響などは?

柴田:やっぱり(池田)ともゆきさんですね。

ーーー先ほども出てきました舞台美術家の池田ともゆきさん。どういう風に?

柴田:大学では発想力やとりあえず描くみたいに、ふわっと舞台美術を学んだ感じで、あまり技術的な事や具体的なことを得られなかったような…

僕が学生の頃、ともゆきさんが関西で沢山お仕事をされていて、知り合いの舞台監督さんの手伝いで仕込みとかに行くと、その現場の図面や道具帖があって「こんなきれいな道具帖があるんや」とすごく感動したのを覚えていますね。こうやって書くのか、何も知らない劇団員の子がみてもわかる図面だ、と衝撃的でしたね。どうやったらあんな風にきれいに書けるのか研究していましたね。

ーーーそういう点ですか。柴田さんもとても熱心な姿勢ですね。ではいよいよ受賞作品についてのお話を伺いたいと思います。

|| 「琵琶湖に月を」って提案したの僕やったと思うんです。そういったことをあそこでやれたのはよかったです。

ーーーでは新人賞を受賞した桃園会「どこかの通りを突っ走って」の話など伺いたいと思います。

柴田:そもそも桃園会はともゆきさんがずっと美術をされていて、その年ともゆきさんが海外に留学されていたので、たまたま僕に依頼が来ました。

ーーーそうなんですか!?

柴田:えぇ。それで随分昔のことなんであまり覚えてないですけど。ト書きがすごい印象的だったんですね。なのでト書きを読み込んでこんな感じかなーとラフでデザインして打ち合わせをした記憶があります。でもだいたい(演出の)深津さんと打ち合わせするのが飲み屋なんですね。だから、どう話をしてデザインが落ち着いたかは本当にあまり覚えてなくて。今じゃ、考えられないです (笑)。でもその年にちょうど美術家協会にも入って新人賞をいただきました。

桃園会「どこかの通りを突っ走って」デザイン画

ーーーすごいですね。タイミングといい神懸かってるような…それからずーっと桃園会と?

柴田:いえ(笑)。それが僕もちょっと絵を描きすぎてしまって予算オーバーして、制作さんに仕込みが終わった後呼び出されまして「こんなにオーバーしたら困ります」と言われて (笑)。桃園会さんとはそれ一度切りで。

ーーーなるほど。美術的には演出家も満足だったけれど…

柴田:そうですね。演出の深津さんとはその後何度か別の現場でお仕事させていただきました。

ーーー次に維新派「呼吸機械」、MONO「なるべく派手な服を着る」で奨励賞を受けた時の事を聞きたいと思います。きっかけは何かありましたか?

柴田:そうですね、少し前にさかのぼりますが、大阪市内の共同で作業できる場所で維新派さんと出会い声をかけさせていただきました。 で、「呼吸機械」の一本前の「聖・家族」という公演をホールでされて、それに参加してそのあとに「呼吸機械」をやりました。

ーーーどうでした?こちらは琵琶湖での…

柴田:はい、琵琶湖水上舞台という話で、基本メインの舞台が10間 x 10間で、上手と下手に10間の袖スペース作って…

ーーー「10間x10間作って」と、さらっと言ってますけど(笑)…琵琶湖ですよね?湖に浸かりながら?

柴田:湖畔なので10間x 4間くらいが水に浸かっている湖上で。でも僕らは地上舞台なので舞台上のことだけでした。

維新派さんって特殊で、独自のスタッフさんがいらっしゃって、その技術スタッフの方々が舞台と客席の設営と本番付きをされるんですけど、セットは僕と助手2、3名と役者の大道具係で作りました。

維新派「呼吸機械」 撮影:福永 幸治(スタジオ・エポック)

維新派「呼吸機械」 撮影:福永 幸治(スタジオ・エポック)

ーーー(笑)。なかなかの大舞台ですよね。

柴田: 呼吸機械の時は作業場で毎日50人くらい作業しているんですけど(笑)、衣装とか小道具とか色んな班を合わせてですけどね。毎日コンパネ100枚くらい使っていました。

色んなことが、これまでとはスケールが違うな、と思っていました。

ーーー本当に。

柴田: まだ30歳くらいだったので元気でしたね。

ーーー30歳で維新派の美術。すごいお話ですね。続いてMONOのほうは?

柴田: MONOはもともと劇団員の奥村さんがずっと美術をされていたんですけど、役者に専念したいということで別の方がその後を継いで美術をされていました。その後あるタイミングでご依頼をいただいてそれから12、3年のお付き合いになります。

ーーー維新派とMONOは作風も美術も両極端に違うという印象があるのですが、それぞれどのようなデザイン過程でしたか?

柴田: MONOの時は脚本よりもまず土田さんの構想をお聞きします。でも基本的には会話劇なので、座るところがいるんです。ただ設定は色んな場所なので、前回は江戸時代のタイとか…全然資料がなくて、どうしたらいいのか悩みました(笑)。資料を探してきて当時ありそうな机、椅子、ベンチをまず置いて。

そして毎回同じくらいのサイズの劇場なんでーー6間 x 4間の18尺タッパな感じでーー自分で作るにはちょうど良いくらいな規模で楽しいですね。

MONO「なるべく派手な服を着る」デザイン画

MONO「なるべく派手な服を着る」 撮影:谷古宇正彦

ーーー維新派はそうはいかない…ですか?

柴田:いかないですね。松本さんはイメージを映画に例えられることが多かったです、「この映画のあのシーンのアレだ」みたいな話はよくされてました。

ーーー映画のですか。では演出家の1コマイメージが出発点という感じですか?

柴田:そうですね。維新派の台本読んでもイメージがつかみにくくて。なんかこう…暗号みたいな、役者のA.B.C.がグリッドに配置されていて、どこどこでこういう動きの振り付けがついて、振り付け担当の劇団員がいつもリズムを取りながら練習してました。あと音楽のリズムだけが決まっていて、このリズムでこの動きでっていうのも、同時進行で作品とは別に進んでました。その断片的に出来上がって来るものを松本さんがつなぎ合わせていく…ということをされていたように思います。

ーーー松本さんのイメージを元に柴田さんの描いた美術が途中で—例えば音楽のイメージと違って来たとかで—変更になる、ということなどは?

柴田:大きく変更…はないんですけど、「おー、柴田。コレええわー」って言われたことはなかったですね(笑)。

ーーーそうなんですか(苦笑)。

維新派「呼吸機械」模型

維新派「呼吸機械」

柴田:デザイン過程としてはちょっとずつちょっとずつ松本さんが思っているトコロに近寄っていく…みたいな創り方だったと思いますけど。

ーーー松本さんのイメージに向かって柴田さんの美術や音楽・振り付けが明確さを与えながら向かう感じなのでしょうか。

柴田:そうとも思えますね。当時はしんどい作業でしたが、だいぶ鍛えられました。

ーーー他に印象に残ってることは?

柴田:自分で自分の首を絞めた話ですけど、「琵琶湖に月どうですか?」って提案したのは僕やったと思うんです。

直径6m 高さ3mの半球なんですが、それを合板で切り出して現場に持って行って、新聞紙とボンドを混ぜたものでクレーターみたいなのを造形していって。照明があたると水面の映り込みでまん丸に見えたり、満ち欠けが表現できたりとか、そういったことをあそこでやれたのはよかったです。

夜の琵琶湖にウェットスーツ着た維新派のスタッフさんが入られて、筏に乗った月を転換してくれました。感謝でした。

ーーー写真を見ると完成度がすごく高いですね。

柴田:月の仕上げは維新派の小道具スタッフの方々がやってくださいました、僕の先輩なんです(笑)。

ーーー芸大の(笑)?

柴田:はい。その方を筆頭に仕上げチームがやってくれましたね。松本さんの理想に近づけるよう、野外の厳しい環境の中でも頑張ってくださいました。

維新派「呼吸機械」 撮影:福永 幸治(スタジオ・エポック)

維新派「呼吸機械」  柴田さんと維新派背景班の渾身の”琵琶湖に浮かぶ美しい月”

ーーーいよいよ本賞を受賞されたシアターBRAVA!「麦ふみクーツェ」の話を伺いたいと思います。

柴田:いしいしんじさん原作の小説があって、それを要約したようなト書きが何ページかありました。良いト書きに出会うと何かひらめくんです。「麦ふみ」の時はそれを読んだ瞬間、「あぁ、なるほど、こういうことか」と思って、パパッと白模型作って打ち合わせに持って行ったら「OK」が出て、すんなり決まったんです。

ーーー細部にまで楽しめそうな賑やかな美術の印象がありますね。

柴田:世界の全てがある倉庫、と書いてあって。色盲の女の子が見ている世界のお話なんですけど。

ーーーまさにぴったりなイメージですね。音楽劇でということに関しては何かありましたか。

柴田:お客さんと一緒に楽しむ!というコンセプトがあって、出演者の皆さんがどこにでもある素材で楽器を自作されて演奏されていました。

「麦踏みクーツェ」模型 細部まで精巧にしっかり作り込まれてます。

ーーーなるほど、とても心惹かれるプロセスですね。その他には何か?

柴田:出力した白黒写真を大量に使用していたのですが、自分でイメージに合うものを写真撮影に行ったり、出力依頼をするための作業などは大変でした。模型から写真のサイズを拾い出したり、出力屋さんにもとてもご協力いただきました。

ーーー確かにこれだけモノに囲まれた装置に出力も加わると大変な苦労ですね。受賞作品に関する沢山のお話ありがとうございました。この後はもう少々お時間をいただいて柴田さんご自身のことを伺いたいと思います。

つながる音楽劇「麦踏みクーツェ」

つながる音楽劇「麦踏みクーツェ」

|| 本当に伊藤熹朔賞はすごい目標でした。そして「受賞者」というプレッシャーの中で新しいものを考え出したい…と自分の中で戦いながらも気持ちの浮き沈みはありましたね。

ーーーではここからは舞台美術家としての柴田さんご自身の事を伺いたいと思います。

普段どのように作品にアプローチしますか?

柴田:人と場合にもよると思います。様子を見ながらどのタイミングで初めのプランだそうかなとかあります。大きな仕事になるとスケジュール感や進め方も違うので難しいですね。

大体の場合、色付きの模型を最終的に作るのが、まず一つの目標というか到達点なんですけど…

ーーー柴田さんの場合、それから更に自分で作製するということになりますね。

柴田:そうですね。結局自分で作れるものしかデザイン出来ないんで、でも何か新しいものを毎回考えたいなとも思います。そうなると製作技術も上げていかないといけないし、なかなか思い通りにいかないことや、自分のところで出来る規模やスケジュールではあまり向いてないこともありますね。

ーーーこちらの大道具会社は?

柴田:何社かよくお願いをする大道具会社さんもあります。

それから僕みたいに美術やりながら作ってる方もいらっしゃいますが、皆さん1人で、2人でとかが多いですね。

ーーー職業病だな…と、つい思ってしまう事はありますか?

柴田:手帳が真っ黒でないと嫌で。休みの日に休めない…というか、常になんかしてないとソワソワしてしまいます。

ーーーなるほど。深刻なワーカホリック症状ですね(笑)。くれぐれも無理はしないで下さいね。

きちんと整頓された作業場に中に過去の作り物が至る所に垣間見える。

ーーー続いて好きなものを伺いたいんですけど、色とか数字、絵などありますか?またそういうものはデザインに影響を与えていますか?

柴田:色は…ブルー系が好きですね。青緑とか大好きです。若い頃は特に「またブルー使ってる」ってよく言われましたし。それと茶系とかも同じ感じになりやすいですね。自分で色作るじゃないですか?混ぜ癖というか。気がついたら同じになっていて。もちろん、自分の持ってない色を使わなあかんな、と抗う時もありますね。

数字は3、7、5、1とか奇数が好きです。3の倍数とか、30分の1が好きなんで…

ーーー他には?

柴田:絵画ですとエッシャーが好きです。パウル・クレーも色が好きですね。

ーーーあの表にあるピンクの象の横にあるロボットみたいなものとか「麦踏みクーツェ」の美術とか遊び心が出てますよね。

柴田:あれですか(笑)。あれはジャンジャン横丁の商店街のキャラクターなんです。屋台を作った時の書割の残りで…。緻密なごちゃっとした感じの絵や、どんどん描き込んでいくような絵は好きです。

ーーーでもその一方で iaku作品のような無駄の一切ない機能美の美術もされてますね。

柴田:抽象的な作品ですね。ちゃんと芝居にもあっていて、うまく使ってくれていましたし。

あと映画はよく観てました、ジブリとか好きですね。世界観のある美術が好きで。

iaku「逢いにいくの、雨だけど」 撮影:木村洋一

ーーーそうなんですね。他には?

柴田:やっぱり昔は(池田)ともゆきさんの影響が大きくて。引き算が上手だと思ってみていました。最小限のものできっちり説明されている空間というか。

ーーー池田さんを大絶賛ですね。では最近とても楽しかった事などありますか?

柴田:嬉しかったことなんですけど。今大阪芸大で教えているんですけど、3回生が20人くらいで同じ台本でプランを考えるという学生の授業発表公演があって、みんなとても苦労してるんですけど…

例えば「こうやってこういう風に、考え方変えたらいいちゃうん。」などアドバイスをして、みんな何枚も何枚も描き直して頑張っているんですけど、そのうちの1人が試行錯誤して作った模型が、演出の先生にデザインを認められて「これいいやん、コレでやろうや!」って決まった瞬間にうるっときて。若い子らが頑張って苦労してやってるのがね。

ーーー感動しますね。もしかして一緒にされてる演出家の方も年下が多くなって来てますか?

柴田:いえ、まだ年上の方が多いですね。年下は1、2人くらいしかいないですね。

ーーーそうですか。意外でした。では最近後悔したこと・嫌だなと思ったことは?

柴田:最近思うことは…。オリジナル作品が多くて、文学、演劇史上の名作とあまり縁がなくて。機会があればやってみたいです。

ーーー今は色々と関わりはあるんじゃないですか?

柴田:今は卒業制作で、学生が毎年色んな戯曲を選んできてデザインしているのが、転換のある多幕物のお芝居やミュージカルなんですが、それを評価しないといけないのですごく台本を読まないといけない状況です。その中にいくつかーーー例えばアーサー・ミラーの「セールスマンの死」とか、「回転木馬」とかを読んでて、いいなあと。もっと早くに読んどいたら良かったと思います。

ーーーまだ全然遅くないと思います。興味本位ですが、ストレス対処法などありますか?

柴田:お酒です…(笑)

ーーー(笑)。では仕事を楽しむための何かコツはありますか?デザインして実際に作って…と常に止まってない感じですが。

柴田:確かにそう思われるんですが、逆にデザインばっかりしてたら嫌になってたと思うんですよ。デザインもするし、模型も作るし、実際に道具も作るし、色んなことを満遍なくやってるんで、飽きないっていうのがあります。

ーーー確かに変化ある活動ですね。大切にしているアイテムなどありますか?

柴田:…ぱっと思い浮かばないですけど、筆箱にはカッターなどの作業ができるものを入れていますね。あと、三角定規が好きです。このステッドラーの2枚組みなんですけど、模型作るのにも図面ひくのにもよく使っていますね。方眼でメモリも入っていますし、分度器もついているので重宝してます。

大学生の時に阪本雅信先生が使われていて、教えていただきました。

ーーー1つ壊れたらまた新しいものを買うという…

柴田:汚れて傷ができて目盛が見えにくくなったら買い換えて、を重ねていっぱいたまってきました。

ーーーすごいですね。デザインのアイディアはどういう時に浮かびますか?

柴田:浮かばない時はまったく浮かばないので、なにか違うことを考えたりしたりとか。違うものと違うものを結びつけて、考え方を変えよう変えようするんですけど… 結局巡り巡って元に戻って来たりとか。そういったものの繰り返しですよね。

ーーーわかります。最近、自身でこれは!と思った考え方あったりしましたか?

柴田:新鮮な考え方ですか…1階の作業場で実際のモノと対峙してると、デザインした時とは違う素材の見方を発見したりしますね。それから学生と喋っていても面白いですね。計算されて考えた答えでデザインするというわけでなく、まだまったく作ることのわからない学生が自由にデザインしてるんで、計算できない学生が描いている発想だけのデザインアイディアは面白いですね。

ーーーデザインスキルを上げるためにしていることはありますか?

柴田:ずっと(図面が)手書きやったんですよ。でも必要に迫られて2年前くらいからをパソコンで描くようになりました(汗)。今のアトリエの助手はもともと舞台をやりたいということで、先輩の紹介で来てくれました。もう3年くらいになります。助手がよくできるのでわからないことは教えてもらっています。

ーーーこれまでで印象に残っている作品はありますか?

柴田:伊藤熹朔賞いただいた作品は全部すごく印象に残ってますね。

ーーー模範的な解答、ありがとうございます(笑)。

柴田:いえ、本当に伊藤熹朔賞はすごい目標でした。 大学1年生の時に板坂先生が本賞受賞されていて、そういう賞があると初めて知ったんですよ。すごい先生なんやと思って。そこから協会に入会して、その年に新人賞をいただいて…

受賞したことは嬉しいんですけど、頂いたことによって「受賞者」というプレッシャーも感じながら、もっと頑張らないとなって。その後は毎年出しては落ちて、落ちては出して…。

8年経って奨励賞を頂き、その後また8年後に本賞を頂いたんですけど、でもやっぱり受賞した次の年、その次の年はなんか自分の中で落ちてる感じはありました。

ーーーそうなんですか?

柴田:はい。そんな中で毎作品毎作品頑張らなあかんし、新しいものを考え出したい…と自分の中で戦いながらも気持ちの浮き沈みはありましたね。

ーーーなるほど。他の人にはわからない葛藤はあるんですね。ちなみに受賞を機に東京に行くことなどは考えたりしましたか?

柴田:当時は目の前の仕事がすごく面白くて、20代の頃はたくさん夢中になれる現場がまわりにあったので別に東京に行く必要はないと思っていました。東京は呼ばれたら行くところだと思って。

関西から東京に行った方や、その他にも色んな方によく声をかけていただいた時期もあったんですけど、やっぱりタイミングが合わなかったというか、でもこっちも楽しかったので。

ーーー柴田さんは京都のロングラン公演「ギア-GEAR-」もされてますね。

柴田:ギアはもともと道頓堀ZAZAっていう小スペースでやった作品でした。

世界観は、工場という設定は最初から決まっていて、お話を聞いた時に直感的に廃工場の雰囲気のこういう舞台美術がいいんだろうなと感じました。

その工場で女の子のドール(ロボット)を作る製造ラインのイメージで、叩く機械とか型を抜く機械、塗装しているとか5つくらいのセクションがあって、その中をぐるぐる回っているという感じやったと思います。

あまりリアリティは追求してなくて、POPな部分やマンガのような部分もあって、でもうまいことパフォーマンスと雰囲気には合っているかと思います。

ノンバーバルパフォーマンス ギア-GEAR- 撮影:井上嘉和

ーーー確かにすごく合ってましたね。

柴田:それをリライトしながら色んなところで改変しながらやり続けてたんです、すぐ近所の名村造船所のブラックチェンバーでもやっていました。デザインと製作もやったのでその度に新しいものを追加したり、調整したり。そうこうしてたら、京都のアートコンプレックスでロングラン公演をするという事になって、劇場を客席から何から改装しました。

ーーーこれからもまだ進化しそうですね。柴田さんは更に2019年の上方舞台裏方賞も取られました。

柴田:僕なんかが頂いて良いのか申し訳ない気持ちでした(汗)

ーーー熹朔賞の特別功労賞に近い感じの…

柴田:そうですね。2、3年前でしたでしょうか。「僕でいいんですか?」とお尋ねしたら、頂けるものは頂いておきなさいと言うことで頂戴致しました。

ーーーでは、もうほぼ熹朔賞4冠に近い感じで。

柴田:(笑)

ーーー柴田さんが受賞されることによって、また次の世代の舞台美術の方も評価の対象になるかもしれません。

柴田:そうですね。そうなってくれたら嬉しいです。

ーーーお忙しい中、沢山の興味深いお話をありがとうございました。アトリエは今日もフル稼働ですが、直近のお仕事は?

柴田:実は明日現場で。ミュージカルの仕込みがあります。

ーーー( ! ) 。そんな大変な時に本当にありがとうございました。月並みですが、明日の仕込み頑張ってください。

プロフィール

柴田 隆弘 (しばた たかひろ)

兵庫県出身。大阪芸術大学舞台芸術学科舞台美術コース卒業。

木谷典義氏 大澤裕氏に師事。

関西を中心に様々な劇団の舞台美術プラン製作を手掛ける。

大阪芸術大学舞台芸術学科舞台美術コース 特任准教授

桃園会『どこかの通りを突っ走って』で、第28回伊藤熹朔賞新人賞受賞。

維新派『呼吸機械』、MONO『なるべく派手な服を着る』で、第36回伊藤熹朔賞奨励賞を受賞。

『麦ふみクーツェ』で、第43回伊藤熹朔賞本賞を受賞。

>>>柴田さんのホームページはこちら

https://www.shibatatakahiro.com/

編集後記:

忙しい時にも関わらず、笑顔で楽しくお話ししていただいた柴田さん。ミュージカルの搬入はあいにくの雨だったそうですが、問題なく乗り切ったことと思います。余談ですが、今年の読売演劇大賞上半期の作品賞に iaku の作品が中間選考会でノミネートされてました。美術はもちろん柴田さん。おめでとうございます。これからも関西のみならず東京での精力的な活躍も期待しています!

北五美術にて( 06.26.2021 )

関連リンク

プロフィール

柴田 隆弘

柴田 隆弘

柴田 隆弘

SHIBATA Takahiro

美術(装置), 教育関連・研究員

主な作品:2000年桃園会「どこかの通りを突っ走って」第28回伊藤熹朔賞新人賞受賞。
2008年維新派「呼吸機械」MONO「なるべく派手な服を着る」第36回伊藤熹朔賞奨励賞受賞。
2016年シアターBRAVA! 音楽劇「麦ふみクーツェ」第43回伊藤熹朔賞本賞受賞。

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