吉田謙吉

YOSHIDA Kenkichi

役職(所属)
美術(装置)
生年月
1897/2/10
没年月
1982/5/1
プロフィール

東京都生まれ。1909年府立一中に入学するが父の事業の倒産により中退、府立工芸学校金属科鋳金科に転校。1911年府立工芸学校金属科鋳金科に入学。1915年同科を卒業し、海軍造兵廠鋳金工場に勤務する傍ら、葵橋洋画研究所に学び、また、土岐善磨に師事し生活歌を学ぶ。東京美術学校図案科第一部を卒業。第9回二科展にLA LOKOMOTIVO PLOVIZEJO SUBIGINTA SUB URBO(街に沈んだ機関車庫)で初入選。1923年「アクション」「三科」などのグループをつくり新しい絵画運動を起こす。1924年築地小劇場の創立に美術部宣伝部員として参加し、第1回公演『海戦』の舞台美術を担当。以後、土方与志との共同制作による丸太組み舞台のスタイルをつくり上げる。1929年築地小劇場分裂後は、新築地劇団の同人となる。1934年以後、満州、広州、南鮮、内蒙古に取材旅行。1945年内蒙古で終戦。翌年帰国後、日本大学、多摩美術大学、玉川大学の演劇科で教鞭をとる。1960年現代マイムを日本へ移入すべく日本マイム協会をつくり、同会会長となる。作画、著作のほか、旅館・喫茶店等の設計・内装も手がけ、著書に「たのしい舞台装置」「築地小劇場の時代-その苦闘と抵抗と」となどがある。
受賞歴

第9回二科展にLA LOKOMOTIVO PLOVIZEJO SUBIGINTA SUB URBO(街に沈んだ機関車庫)で初入選
主な作品

著書「たのしい舞台装置」「築地小劇場の時代-その苦闘と抵抗と」

作品アーカイブ

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