三林亮太郎

MITUBAYASHI Ryotaro

役職(所属)
美術(装置)、教育関連・研究員
生年月
1908/8/29
没年月
1987
プロフィール

東京生まれ 日本大学専門部経済科卒業
1921年頃仁科会の画家・横井弘三に師事し美術の道を志す。
その後横井弘三の紹介で丸山定夫に会い演劇に傾倒してゆく。
1928年11月現代劇協会第六回公演「沈鐘」にて最初期の美術を担当。
1929年大学卒業後、土方与志、吉田謙吉らに共鳴して新築地劇団の結成に参加、本格的に舞台美術制作の活動を開始する。
1930年松竹興業株式会社嘱託(舞台美術担当)となる。以降、レビュウ・ショウの分野において、欧米の風潮を先取りしたモダニズムによる舞台美術を展開しはじめる。
翌年、新築地劇団並びに新日本舞踊の藤蔭静枝の舞台装置を数多手掛けた。
1933年には松竹少女歌劇団美術部長に就任。同歌劇団の舞台美術を多数担当し、レビュウ黄金時代を招来した。
1935年、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)工芸図案科講師に就任し、日本における最初の舞台美術講座にあたる「芸能デザイン講座」を開設。ここから約50年にわたって武蔵野美術大学を中心に舞台美術の人材育成をすすめた。

松竹株式会社の欧米の舞台芸術視察に派遣され渡仏し、帰国後は西欧風の色彩と表現方法を大胆に導入して独自性を発揮していく。藤原歌劇団第一次渡米公演「蝶々夫人」に美術監督として同行した際にアメリカでテレビ美術について学ぶ。
1958年日本舞台美術家協会を創立。
1966年には、第5回国際造形美術会議やプラハで開催された第一回国際舞台美術シンポジウムに代表として参加した。
舞台美術以外にも、国立劇場設立や日本万博博覧会・政府館基本設計などに携わった。
教職歴

帝国美術学校(現武蔵野美術大学)工芸図案科講師
受賞歴

1954年 第6回毎日演劇賞受賞
1956年 電通テレビ美術賞受賞、東宝・香港合作映画「白夫人の妖恋」にてベルリン映画祭色彩特別賞受賞
1963年 藤原歌劇団功労賞受賞
1973年 紫綬褒章受章
1978年 日本演劇協会功労賞受賞
1980年 勲四等旭日小授章受章
1982年 フランス政府よりシュバリエ勲章(教育功労勲章)受章
主な作品

著書は「レビュウからショウへ」三林亮太郎著(岡倉書房刊)、写真集「松竹スウベニール」三林亮太郎編(岡倉書房刊)
など。

作品アーカイブ

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